「教える」の難しさ
彼との同棲が始まって一年ほど経った。つまり仕事が変わって一年ほど経った。
それなりに入れ替わりの激しい職場だから、後輩ができ始めた。
そして、上から言われる「いろいろ教えてあげてね」というアレ。
...私は先生でも何でもないし、あの棚に入っている分厚い新人教育のマニュアルを果たして触っていい立場なのかもわからないし、仕事中にそんな余裕はない。
...後輩とお給料も変わらないし(怒)。
最初のほうに教えてもらったことを100%記憶できているかどうかもわからないのに
その、私が、教える!?!?
と、おもったのだ。でも拒否権もない。
検索すると、教える側は120%理解していなければならないし、教えられる側は理解しようと努力しなければならない。
つまりやる気のない人に一生懸命教えたって右から左なら意味がないのだ。
そして教える側の理解が足りない、教え方が下手なら60%も伝わらないのだ。
実際、教えてみるとめちゃめちゃに難しい。先生とか、親とか、職場の上司とか、そういった人ってやっぱりすごいんだと改めて感じてしまった。その中で私の記憶に濃く残っている中学の国語教師は相当だったのだろう。
さて、教えることの中で何が難しいか。
無意識でしていることを語源化して説明するのが難しい。一から十まで説明しなければならない。それも一度で。情報を抜けなく。
一緒に考えてみてほしい。
例えばだけれど、手 を、だれにでもわかるように説明するとなるとどうなるか。
まず(手を見せながら)、これが手です。
この広い部分は手のひらと言って、そこから分かれている細い部分は指といいます。
(もう片方の手で指差しながら)指には、末節、第一関節、中節、第二関節、基節、第三関節と呼ばれる部分があります。
指や手の中には骨や肉、筋肉があります。
(指を動かしながら)指は、このように動かすことができます。
こちらの面を手のひらといい、裏側を手の甲といいます。手の甲側の指の先には爪があります。この固い部分が爪です。
これは脳からの指令によって筋肉がうごくことでこうなっています。
...う、どうだろうか。こういったことを説明しろと急に言われてもわからないと思わないだろうか。
私は、私のこの説明は本当に不完全であると思う。
例えば上の説明で、骨や肉、筋肉が何かわからなかったら?
手を説明するのだから動かし方とかいらないかな、とか、そもそも手ってどうやって動いているんだっけ?と、思わないだろうか。
手を使ってこんなことができるよ!と示すのを追加したほうがよかっただろうか。
そして調べる。何となくの理解はできるけれどそれをまた伝えるとなると難しい。
もうこれの繰り返しなのだ。
私の中では普通、当たり前くらいまでしみ込んでいること。これまでの生活で「なんとなくスルーしていた」部分が顕著になる。
何もわからないまま、だれにも何も説明できないような状態で私は生きてきていたんだと実感する。だからある意味今のこの状況に感謝しているのだけれど。
相手がどこまで理解していて、どれくらいの説明が必要なのか。相手にとって覚えやすいのはただ話すことなのか、実際やって見せることなのか、試しにやってみてもらうことなのか、何度も繰り返してから初めてわかるのか、それともその人の中で理解できるまで砕いて砕いて自分の形にしたところでやっと理解できるのか。
そもそも一回バーーーーっと話されただけで理解できるほうがすごいと思う。その人にとって新しい事柄ならなおさら。なのに時間のかぶった日の、それも仕事中に少し余裕ができたとき限定で、教えるしかない。
それに、後輩ができるだけではなく、教える物自体が新しくなったり、変更があったりと、なかなか難しいのだ。本当に。難しいのだ。
学生の頃にもっとアウトプットの練習をしておくべきだったと軽く後悔しながら、今この「人にものを教える」というチャンスを逃さないように、頑張りたいと思う。